1997-11-05 第141回国会 衆議院 法務委員会 第4号
我々の刑法の体系が個人責任主義のもとで体系立てられておって、実行正犯というのは現実にそれを実行した者、共謀があれば共謀共同正犯まで広げられる。果たして、組織の実態を解明して、何の痕跡も残さないけれども、末端であらゆる犯罪を行いながら組織として陰の隠然たる支配を持っている、こういう実態がわかったときに、これを受けとめて網をかける構成要件が我々のいわゆる刑法典に用意されておるのかどうか。
我々の刑法の体系が個人責任主義のもとで体系立てられておって、実行正犯というのは現実にそれを実行した者、共謀があれば共謀共同正犯まで広げられる。果たして、組織の実態を解明して、何の痕跡も残さないけれども、末端であらゆる犯罪を行いながら組織として陰の隠然たる支配を持っている、こういう実態がわかったときに、これを受けとめて網をかける構成要件が我々のいわゆる刑法典に用意されておるのかどうか。
○樋渡説明員 先生御指摘のとおりに、この犯罪の主体は日本人も外国人も含むわけでございまして、その犯罪の主体も、実行正犯にとどまらずに、共謀共同正犯も含むわけでありますから、日本人が加担するものがあるいは結構出てくることも考えられます。
○樋渡説明員 それも個々の事案によりますでしょうけれども、その船の運航、運んでくる行為につきまして、自己の支配または管理下にある状況の主体というふうに認められる証拠がありましたら実行正犯となりましょうし、あるいはそうでなくても、そういう者を連れてくることを共謀して自分が下働きをしているという場合には共謀共同正犯ということになろうかと思います。
○漆原委員 共同正犯になるかどうかは別として、要するに実行正犯になるかどうかという単純な立場でお尋ねしているのですけれども、直接密航者に対して指示、指図したり監督したりはしない、ただ炊事、掃除、甲板掃除とか、そういう雑役だけをしている、こういう前提でいかがでしょうか。
また、これに対して、実行正犯が、今まで会社と全く関係がなかった人がいわば殺人を請け負うというような形でやられたということが報ぜられるにつけ、この秩序というものについては、外国にも誇り得るこの日本の国の中でこういう事件が起こって、しかもなかなか解決ができない、未決が多いということについては、我々としても、この法秩序ということについて担当させていただいている法務委員会に籍を置く者として、非常に憂慮にたえない
しかもそういった仕事をやった人は実際の実行正犯とでも申しましょうか、実際に仕事をやりましたのは、その改良区の常務というか、その改良区の事業団体連合会というのが各県にございます。この事業団体連合会の技師二人がそういったことは詳しいので、どこでも同じですが、その人たちに大体まかしておったわけでありまして、その二人が実際にはやっておるわけです。
この前の用水の問題でも本来の実行正犯は連合会の職員二人ですよ。ほかの、この改良区の理事長なんか知るはずはないわけです。それだのにそれをねらって下からずっとやっていった。一番最初は大体うそのでっち上げだ。でっち上げ供述。
○説明員(横井大三君) 問題は、刑法の未遂とか、予備ということと、本犯との関係になってくるわけでございますが、法律の形式論から申しますと、構成要件に該当する行為が実行正犯でございまして、それの前段階が未遂、予備ということになるわけでございますが、ここの条約に書いてございます未遂、予備ということがどこら辺までさすのかということにつきましては、いろいろ議論が出てくると思いますが、この条約のねらいといたしますことは
○井本政府委員 実行正犯としましては、お話のように意思がないのに殺人の既遂罪ということはございませんか、教唆扇動の段階でありますから、人を殺せというような教唆扇動になれは、当然それは刑法犯としますれば殺人の教唆罪であるというふうな形でございます。
この第三条は、言うまでもなく、教唆犯の独立性を認めて、被教唆者の実行行為、いわゆる実行正犯はこれを問わないというのが、この条文の建前であります。そこで教唆犯の独立性を認めるからには、それを厳格にしぼらなければならないということで、この目的と、しこうしてその方法について、組織活動を利用するというふうに、目的と方法の点において教唆の態様を限定したわけです。
併し必ずしも、実際に殺人が行われて、その殺人の実行、正犯の捜査から教唆、幇助に及ぶという鉄則はないわけでありまして、別な半面から教唆犯が捜査されることもあります。
扇動についても先般来その内容につきまして御説明した通りの内容の行為をしなければならないというふうに考えておりまして、その辺は、結果が、結果と申しますか、実行正犯の形が現れたからといつて、すべて実行正犯がその原因、実行正犯をするに至つた原因として考えられる行為はすべて、他人の言説はすべて教唆なり扇動になるというわけでは絶対にないと考える次第であります。
、応ずる者もなかつたというときには、法律上から言えば教唆ということになるが、そんなことは罰する必要はないじやないか、それが多数人に向つてああいうことをせい、こういうこどをせいと言うに破壞活動の扇動をやつたけれども、相手方が何もこれに応ずる者がなかつたというときに扇動を罰するということは危険だから、そういうようなときにはこの教唆、この扇動は罰せん、但しその教唆によつて実害が生じた、その扇動によつて実行正犯
併しこれに若し乗つたならば乗つたときにその人は実行正犯であるし、ここで今やつておる男は教唆正犯ということで罰せられるのです。乗らなければ罰する必要はないのですと言つて笑つておつたことを私は聞いて実は驚いた。成るほどそれはそうだなあと思つたんだがね。今やれやれと言つたけれども誰も応ずる者がなかつた。応ずる者が何もなかつたら治安の秩序というものは少しも紊されておらんのだね。
やれやれということによつてそこにある者が意思を決定してやつたということになれば、実行行為がある、実行正犯がある。それによつてやれやれと言つた者は教唆正犯ということで罰せられるから賄いができるじやないか、こういう議論ですけれども、これ以上は議論はいたしません。
実行者があることによつてそれが実行正犯として処罰される。そういうことを決意せしめたところの即ち扇動者についてそれはその刑法の教唆ということで処罰される。それならば何もこれはそのまま不問に付するというのじやないのだから、それだから治安の維持は保てる。ただ私が言うのは、そういうような扇動をしたけれども誰も応じない、応ずる者が一人もない。そういうときにこれを罰するということはどうであろうか。
ところが我が国において現に行われておるこの刑法には共犯という規定があつて、而してその共犯はいわゆる実行正犯、教唆正犯並びに従犯、並びに従犯の従犯、こういうことが規定されておつて、扇動という文字は刑法ではどこにも規定はないのです。それから予備、陰謀を罰するやつは内乱罪に関する七十八條に規定がある。ところが扇動というような文字は刑法の中にはそういう犯罪がない。
ここで問題になつておる教唆は、刑法一般原則の従属犯としての教唆の適用が問題になる、従いましてただいま申し上げた通り、教唆を受けた者が実行正犯として犯罪を実行しなければならぬ関係になると考えておる次第でございます。
○伊藤修君 排除するものではないということになりますから結局実行正犯があつた場合においては、いわゆる刑法の総則の六十一條の二項が適用されて教唆の教唆までほか処罰できないということになるんじやないですか、そうじやなくして本法によつてならば、教唆者は独立犯になる、その教唆は刑法の六十一條の第二項によつて罰し、その教唆も罰するとこういう結果を招来して権衡を失するのじやないでしようか。